日本で最も美しい村 香美町小代
フォトコンテスト作品紹介
日本で最も美しい村 香美町小代
フォトコンテスト作品紹介
入選した作品をご紹介します。
2014年
2015年
2016年
99.9%の事実
平成 24年 2月、社団法人全国和牛登録協会の調べで、但馬牛について驚くべき数字が明らかになりました。
全国の黒毛和牛の繁殖メス牛のうち、 99.9%の比率で「田尻号」という一頭の但馬牛の種オス牛の子孫である …と証明されたのです。
お母さん牛の 99.9%が「田尻号」の子孫ということは、生まれてくるほとんどの日本の黒毛和牛は「田尻号」の子孫ということになります。
働き者の但馬牛
但馬牛はもともと田畑を耕すために飼われていて、小柄で小回りがきき、とてもよく働きました。田植えの時期が終わるとえさの草刈り、牛舎の掃除で管理が大変なため、昼間は集落から離れた山の上の放牧場で飼われていました。村岡区では標高900m、小代では集落から4km、標高500mの場所で放牧されていたそうです。
牛は大切な家族の一員
愛情を込めて飼われていた牛は、毎日のように丁寧にマッサージをしていたため、皮膚や毛が柔らかくなり、肉質も柔らかくなったと考えられています。
大事な働き手で、子牛を産んで生活を支えてくれる牛を家族の一員として、同じ屋根の下の一番日当りのいい場所を牛の寝床にし、愛情深く育てていました。
小代では、硬い稲わらや干し草を、囲炉裏の鍋で何時間も煮て、柔らかくしたり、家族のご飯を牛のために茶碗一杯分残して、食べさせたりもしていたそうです。



牛を愛する人々によって大切に育てられてきた『但馬牛』
柔らかくて栄養豊富な野草や薬草を食べて、足腰の強い、健康で丈夫な牛になります。
但馬では「弁当忘れても傘忘れるな」と昔からいわれるほど、雨の多い地区で、昼夜の寒暖差も大きいのが特徴。山々には豊富な水と、その恵みの野草や薬草も豊富にありました。美方郡の植生は屋久島や小笠原諸島にも並ぶほど、豊かだという報告もあるのです。
但馬牛は、夏の間は、その柔らかくて栄養豊富な野草や薬草を食べ、毎日険しい山を往き来することで、足腰の強い、健康で丈夫な牛となっていったのです。
また雪の多い冬は「まや」と呼ばれる牛の寝床で飼われ、栄養が少なく硬い稲わらや干し草を与えられていたので、辛抱強く粗食にも耐えられる牛になったのです。
そうして鍛えられたしなやかな筋肉と、寒さから身を守るために細かい脂肪が入り、肉質に『霜降り』状態がうまれたといわれています。
小代の暮らしの中で、牛は大切な家族の一員。
長い年月、豊かな自然環境の中、何代にもわたって良質な草を食べ続けたおかげで、肉質は柔らかく、良質になり、毎日の運動で鍛えた体は健康で美しくなりました。なにより、家族の一員として、愛情たっぷりに育てられてきたため、おとなしい、飼い主のいうことをよく聞く、働き者の牛となったのです。
今のように広い道路もなく、交通事情もよくない時代には、人だけでも峠を越えて行き来するのは大変でしたから、牛の交配は狭い谷の中だけで行われていました。
小代の牛は、そうした閉鎖された、しかも素晴しい環境の中で、、日本一の牛となるべく、守られ続けてきたのです。
これは「閉鎖育種」と言い、現在では血統の差別化を保つために、意図的になされますが、小代の小さな谷で、偶然にも、優れた遺伝子がよい形で引き継がれてきたのです。

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そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。

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